- ことしの花見はよい花見
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-2017.04.06 Thursday
いっときはあの川のほとりに広がるという世にもうつくしい
お花畑のそばまで行くかとおもわれたHHさんです。
なつかしい父母そして兄姉たちが現れては見舞ってくれたと
うれしそうに話してくれた日々もありました。
なのにあれだけ世話をして尽くしたご亭主が一向に
顔も出さないとは、と薄情を嘆いて見せるのでした。
あれから半年も経ったでしょうか、ひどい眩暈に悩まされる
こともめったになくなり、軽いスポーツリハビリメニューを
続けてきた甲斐もあって足取りも軽やかになったHHさん。
はじめはなじめなかったデイサービスでしたが、いまではお名前も
言い合える遠慮の要らないお仲間が待っていると朝からそわそわ
してお迎えを待つようになりました。
九十歳前後のお仲間はみな人生の達人ぞろい。
自慢話とも愚痴ともつかない繰言を毎週のようにおたがい
言い合ってはあきれたり慰めあったり。
正気なのはあたし一人だけなのよ、ため息とともに
嘆いてみせるHHさん、口ごもる男性にもやさしく
声をかけたり、働き者のスタッフのお手伝いをする
余裕もできました。
HHさんはそこでとてもたいせつなことを身に刻みつけた
そんなふうにみえるのでした。
とりわけ過酷なあの戦争の時代をくぐってきた年寄り同士、
ここには分かり合えるひとたちがいる、家族ともまたちがう
人生のお仲間を見つけた安心感といったものかもしれません。
ひたすら寝ている、呼んでも答えない(応えられない)ひと、
手づかみでしか食べられないひと、日がなクスクス笑っているひと、
人生の終わり近くになって初めて行き逢う同世代の現実でした。
やさしいお嫁さん、きびしすぎる娘や役に立たない息子たち。
毎日通うのは家にはねこが1匹待っているだけのひと。
これが人生、とHHさんは圧倒される思いです。
脳の中にぽっかりと空き室ができたようで、なにかがおかしいと
じぶんでもわかる、けれど漢字の書き取りでは満点の用紙を
手にほっとしてみたり。
でも計算がどうもあやしくなって、やはりじぶんも、と
いささか自信がなくなりそうです。
そんなものよ、と言い聞かせるように大好きなアイロンを
手に、糊を利かせたお気に入りのテーブルクロスを
広げる姿はまさに主婦の鑑。
お皿に油よごれが残ったままだっていいじゃないか、
じぶんでいっしょうけんめいに料理をして、皿洗いもして
うれしそうな笑顔が輝いています。
おおぜいのたすけてくれるひとにめぐまれて、なんでも
ひとりでできることが誇りだったころよりも、いまの
ほうがずっと幸せでうれしそう、長生きも悪くない、
身をもって教えてくれているようです。
きびしい冬をともに無事生き抜いた白とピンクの胡蝶蘭が
大輪の花穂をゆらしています。