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横浜事件 実質無罪
明治天皇暗殺を企図した廉で1910年5月25日に多数の社会主義者、
無政府主義者の逮捕、検挙が始まり、1911年1月18日に死刑24名、
有期刑2名の判決。
1月24日に11名が、1月25日に管野スガが処刑された。
幸徳秋水らが首謀者とされた大逆事件である。

ずいぶん前のことだけれど亡き祖母が岩波新書の『菅野スガ』を読んで
感極まって電話をくれたことがあった。
上野高等女学校で伊藤野枝と同級生であった祖母は、野枝さんの
赤ちゃんを抱っこさせてもらったこともあったそうだ。

天皇を絶対君主とした国家体制のその時代、女学生たちはある
教師の(校長だったか?)振る舞いに納得できずに一学年の生徒が
全員で授業をボイコットしてその教師の罷免を要求したことが
あったという。

結果的にその学年の生徒たちは綱紀を乱したということで、全員が
卒業生名簿から除外された、そしてそのことを話してくれる祖母は
まことに得意満面なのであった。

”だからね、あたしたちの学年のつながりの強いことったら、そりゃ
すごいもんだったのよ!”

そういう時代だったので国賊の思想犯として処刑された管野スガに
ついて、正当な評価などは決して耳にすることがなかったが
気にかかっていて岩波新書を読んだらしかった。
そのころはもう八十歳くらいだったようにおもう。

祖母は耳が遠くてこちらの声は聞こえないことを承知で電話口で叫ぶように
”どうしてもお礼が言いたくて電話したの、長いことわからなかった
管野スガというひとのことがほんとうによく、わかりました。
とても感動してそのことがいいたくて、それだけなのよ。”といって
電話は切れた。



事件から100年、いまも貴重な資料を発掘し、その背景と意味を捉え返す
作業が続いている。

そして先ごろもうひとつの言論弾圧事件であった横浜事件についての
画期的な判決が出された。

      

社会思想、ジャーナリズム、そして出版人にかかわる最も大きな弾圧事件。
戦前の検察という体制が非道の限りを尽くして国家に危険と目された思想を
押しつぶしていった、そのなかの最大の事件であるといえる。

戦後の裁判で違法であったと認められたその非人道的な振る舞いを、
それでも検察は一度も謝罪することがなかったが、横浜地裁は
元被告人にたいして刑事補償を認めるという決定をした。

詳細は→横浜事件再審ネット

ここに紹介した田畑書店刊『もうひとつの横浜事件』という本を書かれた著者の
小泉文子さんとのご縁があって、いつも注目をしてきた事件だったが
このたびの決着は関係者のみなさまにとって、ほんのわずかでも
痛みを和らげることとなったとしたら、その遅すぎた春をともに喜びたいと
おもう。

名誉回復、というただひとつのために長年にわたり多くのかたが
苦労をされて、思想信教の自由の大切さを深めてこられた、そのことを
なによりの収穫として多くのひと、なかでも出版言論に携わるものは
理解し糧として学ばなくてはならないだろう。

それが訴えを起こした当事者がもう亡くなられたあとに、私たちに
残された課題なのではないだろうか。

敵は手ごわいが、味方もまた多い。
author:信愛書店 en=gawa, 15:19
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