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戦場体験収録会;尾形憲さんのおはなし
まま(せんむ)がいそがしくでかけました。
だいじなおはなしをきかせていただく、って。

      

ままのおとうさんもむかしせんそうへいったんだそうです。
がくしゃのおしごとだったんだけど、せんそうのはなしになると
かんしゃくをおこしたみたいになって、てんのうのわるくちばかり
いってたんだって。
しょうわてんのうよりさきにはしねない、っていったそうです。
でもままのおとうさん、hanaのおじいちゃんはだんだんよわって
ねたきりになったときになってもまだしんだしょうわてんのうを
うらんでたのでままがいったんだって。
『天皇も本当のことを知らされてなかったんだし、周りのヒトが
みんなでいいように仕向けた面もあるのだから、だれでもあの
立場に置かれたら似たような結果になったのではないかしら?』
そしたらおじいちゃんがいったんだそうです。
『まあ、そうだな』
うらみつらみをのこしてるとさんずのかわをわたれないんじゃ
ないかってままがしんぱいしたんだそうです。
hanaもおよげないからさんずのかわがしんぱいになってきました。

ままがきいたおはなしというのはやはりせんそうへいってた
おじいさんのおはなし。



予科士官学校、航空士官学校をでて19歳でジャワ航空通信隊。
旧制中学時代の猛勉強をうかがわせる変色したノートを
見せてくださる尾形憲さん。
500年の曜日を割り出せるグレゴリアン暦の数列を写したものや
楽譜、幾何学の図形など勉強が好きでたまらなかった少年時代を
なつかしく思い出しながら説明してくださいました。



お得意の数学パズルを持ち出して聞き手のボランティアを
びっくりさせてうれしそうな尾形さん。
すっかり先生の顔になっていました。
言葉遊びや年季の入っただじゃれに場が和みます。



それほど危ない思いをしていない、といわれる尾形さんは通信隊に
所属していたので本部とともに各地を転戦、ガダルカナル、レイテ
台湾へと。
1944年に特攻が始まると飛び立つ若者がみな通信兵である
尾形さんのもとへ出発のあいさつをしにきたそうです。
「行ってまいります!」
同期の見知った顔が来る。
行ってまた帰ってこいよ、と言えない片道飛行。
言葉が詰まる。
けれどそれも余り多く続くとおそろしいことになれてしまう。

  「尾形憲氏の意見陳述書からの抜粋」 
    1923年生まれ、
軍国主義教育を受けて陸軍士官学校に進みました。
航空の同期生はおおかた特攻で20歳前後の命をなくしました。
歩兵や砲兵などの地上の兵種も、南方や大陸の前線で戦死、
ならまだしも、餓死です。
この戦争で死んだ軍人・軍属230万人のうち、その6割が餓死でした。

同期生の一人は特攻として出撃しました。
ところが、すでに敵艦に突入したものとして、2階級特別進級、
天皇に上奏されてい ました。
生きていた英霊があってはならないと、彼はマラリアの病室から
参謀に引きずり出され、単機出撃させられました。
「処刑飛行」 です。
操縦を誤って草原に突っ込んでしまいましたが、奇跡的に
かすり傷一つ負いませんでした。
航空軍司令官の冨永恭次はいつも特攻を送り出す とき、
お前たちだけ行かせはしない。最後には自分も参謀長の
操縦する飛行機に乗って、お前たちの後に続く」と、言って
いながら米軍が間近かに上陸すると、真っ 先に逃げ出した人です。
その冨永さんに「お前は特攻のくせに命が惜しいのか。
すぐに出撃せい」と叱りつけられた彼は、別の飛行機に乗って
「田中軍曹、ただ今から 自殺攻撃に出発します」

こうした犠牲はなにのためだったのか。
私たちはこの戦いが「聖戦」であり、欧米諸国からアジアを
解放するためのもの、東洋 平和のためのものと
教えられました。
戦後になって私たちは、それがまったくの嘘だったことを知りました。

 (以上は戦場体験放映保存の会の記録より一部を抜粋)

尾形さんは戦後になって再び勉強をするなかでマルクス主義経済学
そして平和学へと関心が広がってゆきます。
それは戦前の教育がたいへん偏っていたことの反省から、なにも
しらないこどもや若者に幅広いものの見方ができるようになって
ほしいとの願いが込められていることがお話からかんじられました。

        

hanaはのんきなくらしができてよかった、とおもいました。
せんそうになったときに家にあった金属類、馬や犬、猫まで
供出させられた悲しい話がたくさんありました。
兵隊の暖を取る毛皮にするためでしょうか。

それも圧倒的に物資の差が、軍事力の差があることを認めようと
しないで無謀な作戦を推し進めた軍部の無責任体質がすべての
根源にあると思われます。

65年たってもこういった悲劇から多くを学ぶことなく、世界では
まだおそろしい戦場が広がりつつあります。
教育がひろく平等に行き渡っていないところに戦争は忍び寄る
それは大国アメリカでさえ避けることができないように見えます。

信頼できる情報をまず多くの人が共有すること、つねにそれを
オープンに開示して批判の自由を保証すること、それがもっとも
だいじなことではないでしょうか。

戦場体験放映保存の会の活動にはどなたでも参加することが
できます。
聞き取り、収録のボランティアを募集していますので関心あるかたは
こちらのブログをご覧ください。
author:信愛書店 en=gawa, 11:48
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