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伝統の森IKTTカレンダー2011年版◇フォトグラファー内藤順司さんの美しい写真とともに1年をお過ごしください
IKTTクメール伝統織物研究所より2011年の
うつくしいカレンダーが入荷しました。

今回は、“染め織りとともにある「伝統の森」の
暮らし”がテーマです。



主宰する森本喜久男さんのメルマガをいつもいただいているの
ですが、伝統の森のふだんの暮らしぶりを描く記事とはべつに、
今回は日本の伝統産業であった養蚕農家の廃業について案じて
いらっしゃいます。

私たちの身近にあって、つい1世代前までは日常に親しんだ
伝統技術や文化がいま消えようとしている、それはものとしての
産業ばかりでなくそれを生かし続けてきた先人の知恵やこころの
ありようが同時に消えてしまうということにもなる。

森本さんのメルマガはこのような書き出しで始まります。

みなさま、IKTT(クメール伝統織物研究所)の
森本喜久男です。

●未来へのシルク

日本では養蚕農家の廃業が話題となっていると聞く。
数百年、数千年の伝統が途絶えようとしているのだから、それは
大変な出来事である。しかし、養蚕農家への補助金が打ち切られる
ことで途絶える養蚕業のあり方そのものが、もう一度問われなければ
ならない。

わたしたちIKTTは、この15年のあいだ、20数年の内戦を経て
途絶えかけていたカンボジアの養蚕業の再興とクメールシルクの
復興を願って、活動を続けてきた。中国などで大量に生産された
マシンメイドのシルクではない、ヒューマンメイドのカンボジア
シルク。在来品種を手引きした質の高いシルクのよさが見直され、
需要が出てきている。そのため、ここ数年カンボジアでは、常に
生糸の供給不足の状態が続いている。
低賃金による安い生産コストを背景に、世界のシルク市場を制覇
してきた中国は、最近、投機的な流れも含みながら輸出価格を
倍に跳ね上げようとしている。
そのなかで、あえて、わたしは日本の心ある養蚕農家を潰しては
いけないと、と強く思うようになった。

これまでの、農家が繭を生産して企業に販売するという従来の
流通形態ではなく、米を農家が自家販売するように、糸を売る。
それも機械繰糸ではなく、座操りと呼ばれる手引きで糸をひく。
機械で引いた糸と、手で引いた糸には、その手間以上に明らかな
違いがある。それは、機械で一律に繭から引かれるのではない
テンションが糸にかかることで、しなやかな糸を生み出す。その
糸を、農家は問屋や商社に卸してはいけない。直販、織り手や
編み物をしている人たちに直接販売すればいい。
そういう需要者との契約生産でもいい、それも可能なはず。
価格も、十分採算が取れる利益を得ることができる。
それは、農家が直販する米、新潟の「ササニシキ」と同じである。
そのためには、これまでのような商社が指定した品種ではない、
大量生産の機械向きではない良質の蚕の品種を選ばなければ
ならない。幸いにも、現在の日本には、そうした品種が保存されて
いる。昔の日本の農家では、納める以外の繭を自家用に手引きし、
布を織っていた。納められない屑繭から、紬と呼ばれる糸を
生み出していた。それは、知恵であり経験であり、文化と呼べる。
幸いなことに、今であれば、そんな経験を持つ70代、80代の
年配の女性が生きておられる。ときには、養老院におられる
かもしれない。そんな方々を養老院から出てきていただき、
孫に小遣いを上げる気持ちで、繭から糸を引いていただく。
それを直販すれば、シルクのササニシキとして、これまでの
価格の数倍の収益があるはずである。そうすれば、それを
学びたい若い人たちも仕事として、やりたいという人が出て
くるはず。

そのとき、もうひとつのアイデアは、たとえば、障害者の作業所の
ようなところで、養蚕をやり、糸を引く、という事業を始められたら
よいと思う。これまでであれば、利益率の低い、洗濯バサミ作りの
ようなわずかな収益を上げる仕事が主だったはず。そうではなく、
手のかかる、しかし、それに見合った収益を上げることができる
養蚕と生糸の生産には将来性があり、作業所のような環境が
プラスに転換すると思える。
それは、シルクの新しい未来である。
生産とその生産形態と、生産物とその流通を見直す。これまでの
大量消費を美とする社会通念から、適正な生産と消費とその流通を
見直す、それがこれからの時代の美である。
ゴミを生み出す社会のシステムや価値観は、もう十分なはず。
適正の基準をどこに置くかという課題はこれからの検討に委ねると
して、人間が自然と共生していく社会が必要なことは明白である。
社会の総生産量、エネルギーが極力ゴミとならないようにすることで、
もっとゆとりのある社会が形成できるはずである。

もう20年ほど前の話だが、アパレル業界の方に、このシルクは
10年は持ちますし、使ううちに風合いもよくなるんですよと説明した
ことがある。すると、その担当の方ははっきりと「そんな必要は
ないのです」と言われた。2〜3年で新しいものに買い換えて
いってもらったほうが売る側としてはよいわけで、だから10年も
持つ必要はないのだ、と。そのための流行だし、ファッションなの
だから、と。
日本のキモノは、昔はお母さんから娘さんへ、そして時に孫へ。
と伝えられ使われてきたものだった。ところが、最近のシルクは
弱いのが当たり前。水での自家洗濯もできない。
昔ならば、家で洗い張りを普通にしていた物が、今ではドライ
クリーニングだけ、そしてパール加工などという防水加工をしなければ
使えない衣類になってしまった。呉服屋さんが、最近のキモノは
素材のシルクが弱くて昔のように汚れてもシミ抜きができなくなって
いるといわれる。シミ抜きをするために擦るとそこに穴があくんです、
と。ほんとうに驚きである。シルクは弱い物、それが今や新しい
常識となっている。

しかし、そんな弱くなったシルクの常識をもう一度変えていくことが、
日本の養蚕農家のこれからの仕事にかかっている。季節の変化の
中で、天然素材としてのシルク本来のよさが、夏には夏の、冬には
冬の花鳥風月が、もう一度知られていくようなキモノを産み出して
いかないと、日本の美、キモノ文化も、ゴミとなっていかざるを
得ない。

森本喜久男

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author:信愛書店 en=gawa, 13:38
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