フォトグラファー内藤順司さんよりレポートをいただきました。
震災直後に川原尚行医師と被災地に入っていました、という
緊急レポートです。
写真家として、言葉以上に多くのものを私たちに伝えて
くださるレポートをぜひごらんください。
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関係各位の皆様へ・・・ご報告です。
私は3月11日の地震震災後、急遽川原尚行医師と
被災地に入っていました。
川原医師はスーダン支援の為に一時帰国中に東京で
地震に遭いました。彼のスーダン帰国予定日は18日
でしたが、急遽予定をすべてをキャンセルし翌12日には
大渋滞の中都内を出発。私とは13日に合流し翌14日に
仙台空港近くの宮城県名取市の被災地に入りました。
私もフォトグラファーの傍らに微力ながら調査や準備、
交渉、ドライバー道案内までの役割を担い、慌ただしい
毎日を過ごし23日に一旦現地を離れました。
彼は17日からは現地で巡回診療を開始し多くの避難した
人々を診ています。これからもまだまだ活動は続きます。
私も継続的に活動を手伝い、そして写真に収めていく所存です。
滞在中には、仙台を離れ陸前高田にも調査の為に入りました。
三陸には多くの友人がいます。彼らの復興の取り組みも
同時に記録していきたいと思っています。
(001)停電や通信不能のところも多数あり、
慌ただしい毎日でしたのでお知らせが遅くなりました。
ご心配をおかけしましたが、私は元気です。
(002)ご報告とともに、数枚の写真を貼付しておきます。
添付した写真は、001は、陸前高田で撮影したものです。
市街地全体が壊滅し、役場も病院も流され現場は混乱
していました。
写真に写る男性は、「最近新築したばかりの家を流された」
と「基礎しか残っていなかったです」と呆然と立っていました。
現地では私が同行したNPO団体「NICCO」が巡回診療や
支援物資の活動をしています。彼らの活動も今後記録して
いきます。
(003)002は仙台空港近くの名取市閖上地区の被災風景です。
今回の地震は青森から茨城に渡る約500kmの海岸線の
すべてを津波で破壊していきました。延々と被害の惨状が
続いていました。川原医師は、この閖上地区で家を流され
避難所生活をしている名取市館腰小学校を中心に巡回診療を
しています。インフルエンザから、不眠症や運動不足、
不安定な生活による精神疾患など様々な病状にスーダンでの
活動と同じようにひとり一人の生命の助けになるようにと、
ほんとうに被災された方とともに活動してらっしゃいます。
004、館腰小学校での巡回診療の様子。今では、当初の
医療活動はもちろんのこと、体操やストレッチもロシナンテス
スタッフで行なうようになり、今日からは全国からのボランティア
青年を集め残った家屋の泥の片付けや整備も始めました。
早ければ4月にもサッカー大会なども開催し被災地に笑顔と
元気を取り戻すことも計画しています。
(004)今後も私自身、写真集ブログやツィッター、Insatagram
などで随時、現地の様子をお知らせしていきますので
お時間がある時にでも目を通してやってください。
ツィッター、Insatagram などのユーザネームは
>> @sudan0312
写真集出版記念ブログ >>
http://ameblo.jp/sudan0312/ロシナンテスサイト >>
http://www.rocinantes.org/
(005)
今回の震災や原発のことについて不思議に予感めいた
ものがあったので、いたって冷静な自分がいます。
今回のことがなくても日本は行き詰まっていて大きな
曲がり角 だったと思います。今回のことで実に多くの
ことが試されているように感じています。これから我々が
どのように復興し何処に向かうのか?この地球全体の
方向が試されていると思うのです。その為にも今の
苦境の中で懸命に生きる人々を写真に刻みたいと思います。
これからも皆さんのご理解とご協力をお願いいたします。
2011年3月26日 内藤順司
(006)貴重なレポートを送ってくださった内藤さん、ほんとうに
ありがとうございました。
また追ってご紹介をしてまいります。
現地のみなさま、そして支援活動をしていらっしゃる
たくさんのかたのご無事をいのります。