8月22日の朝日新聞に立ち姿のうつくしい女性がほほえんで
いる写真が掲載されていました。
「脱北から10年、ネパールに学校建設 都内の29歳女性 」 (⇒朝日新聞デジタル)学ぶこと、努力することのたいせつさを身に刻んだ若い女性が
ネパールの奥地の子どもたちを支援しているという記事です。
脱北して「日本人」となって生きることを選んだ京子さんの人生は
平時しか知らない私たちには想像のつかない苦難の連続であった
ことでしょう。
そのひとがまっすぐこちらをみてほほえんでいます。
どこかでお会いしたような、親しみやすさとなつかしい顔。
また、昨日は写真家の高木俊幸さんが立ち寄ってくださって
「Report/FUKUSHIMA 001」を分けてくださいました。
タブロイド判の紙面では浪江町の元福島県職員今野秀則さんが
おだやかにほほえんでいます。
じっくりとお聞きしたその体験は、笑顔とはうらはらに
批判と自責のきびしい言葉が並んでいて、読み進むのが
容易ではありません。
それでもほんの一部をことばにしてくださったにちがいない。
何十年、何百年と福島の大地を耕し、助け合って暮らしてきた
たくさんのひとびとが、今野さんのように過去と未来をすべて
奪われている現実。
『本来やっぱり反対運動やっておくべきだった。』
このようなことを今野さんに言わせてしまうなんて。
私たちがこころを寄せなくてはならないのは、
『お金と軍備があなたを守る』と誘惑の甘い言葉をささやく
いまの政権ではないはず。
津波は止めることはできないけれど、愚かな原発は止める
ことができる。
その原発で甘い汁を吸い上げてきたものは責任を取らなくては
ならない。
幸いにして表現の、通信の自由はそれなりに確保されています。
ここから一歩たりとも後退しないように、いまできること、するべき
ことを迷いながらさぐってゆきたいとかんがえるのでした。
いま、駅などに張り出してある大きなポスター。
『国宝 興福寺 仏頭展 白鳳の微笑みに会いに』東京芸大の美術館展、この微笑みをもつひとは今の時代にも
きっと生きている、とおもいつつ。